2025年1月3日金曜日

「正しい」と判断する難しさ

  昨年は身近なところで、いろんなニュースが飛び交って「何が正しいのか分からない」という状況を目にすることがありました。(立場的に、具体的に書きにくいテーマです・・・)

 その時、ふと思い出したことがあります。

 私は、修士論文で阪神・淡路大震災に関する避難所の調査をしました。自分でも言うのも何ですが、けっこう頑張った論文ではあるのですが、査読論文としては発表していません。その理由は、「何が正しいのか、よく分からなかった」からで、ゼミの先生からも「これでは、学術論文にはなりませんねえ」というコメントをもらったのを覚えています。

 一つ例をあげると、ある避難所となった学校の先生へのインタビュー調査で「ボランティアで来てくれた若者がよく頑張ってくれた。素晴らしかった!」というお話を聞きました。しかし一方で、避難者の方からは「ボランティアの若者が我が物顔で、本当に大変で混乱した」という話も聞きました。

 もちろん、どちらも同じ避難所です。実際に避難所運営に関わったボランティアのリーダーの方にも話を聞けると、もっと解像度の高い分析が可能だし、何が起こっていたのか分かったのかもしれません。しかし、数多くの避難所調査をしている中、そこまで辿って調査をすることはできませんでした。なので、結論としては「何が起こっていたのか、本当のところは藪の中で分からない」という判断になりました。

 調査をしていると、このようなことはよくあります。私の調査や研究は、「一つの立場から詳しく調べる」というより、「いろんな立場の人から話を聞いて、総合的に判断する」というアプローチを取る傾向があるのですが、それもこの避難所調査の経験から来ているように思います。

 様々な関係者の意見を十分に聞けない状態だと、本来「何があったのか、正しいのか」は分からないはずなのですが、昨年は、片方の立場から「こういうことで間違いない」という主張が目立つ場面が多かったように思います。こういう場合は「分からない」と、考えを保留しておくことも大切だし、多角的な視点で事実にアプローチしているのは誰なのか、立ち止まって考えてみることも大切です。

 研究論文でも、行政やボランティアとか、どちらか片方の話しか聞いていないのに「○○の対応に問題があった」と断言しているものを時々見かけます。あれは、なぜ反対側の意見を聞いてみないのかなぁと思ったりもするのですが、片方の視点から詳細にアプローチするのも研究の手法としては、当然あり得ます。様々なアプローチの研究が積み重なって、一人ではたどり着けない結論に近づいていくのが研究なので、自分と異なる視点、手法、結果の研究を尊重するスタンスが、改めて重要だと感じました。



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