2025年2月17日月曜日

三村浩史先生を語る会

 昨年11月、大学院(修士)時代の恩師である三村浩史先生が亡くなられ、 昨日2/16に京都大学にて「三村浩史先生を語る会」が開催され、京都マラソンの交通規制をかいくぐって(?)、参加して参りました。

 三村先生の奥様はじめ、ご縁のある方々のお話が大変印象深く、記憶に残るエピソードばかりでした。中でも、H先生が「三村先生は、(左翼でなく)リベラリストで、モダニスト」という言葉が印象的でした。H先生がおっしゃると、褒め言葉ではなく、いろいろな意味が込められてそうですが、リベラリストを自由と人権を大切にする「リベラル」の意味で捉えると、私的にはとてもしっくり来ました。

 私自身、自分はリベラルだと思っていたのですが、最近はちょっと変わった自称リベラル(?)の方をメディアで見かけることもあって、感覚がゆらいだりもしました。今回、三村先生の学問に対するスタンスや価値観を思い起こしてみると、自由で軽やかでユーモアがあって、確かに「リベラリストでモダニスト」という表現がしっくりときました。そして、そういうところが今の自分にも繋がっているのだなと嬉しくもありました。

 またH先生のお話を聞くと、三村先生の師匠でもある西山夘三先生が、多様性やバランスを大切にする一面も知ることができ、多様な流れの源流はそういうところにあったのだなとも感じました。
(そういえば、私の人生、中学の陸上部から始まり、高校、大学、シンクタンクと、自由とか自主、自律とか、そういうカルチャーの所を選んで渡り歩いている気がします。今がいちばん縛りが厳しい環境かも・・・)

 語る会は年齢的には大先輩の方が多かったのですが、近い世代の参加者も多く、本当に卒業以来の交流という方もいらっしゃいました。研究室での出会いだけでなく、三村先生ご夫妻には、結婚式の仲人もご無理を言ってお引き受けいただき、公私ともに心からの感謝しかありません。「ご恩返し」はできませんが、次の世代への「ご恩送り」をすることで、少しでも三村先生から学んだことを伝えて参ります。
(「恩送り」という言葉も、昨日の語る会でのスピーチで知りました。いい言葉ですね)

 最後に「三村浩史先生を語る会メッセージ集」に寄せた原稿を転載し、これまでの感謝と哀悼の意をお示しいたします。「語る会」を企画・運営していただいた皆様、本当にありがとうございました。

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 三村先生と最後にお会いしたのはコロナ禍直前の2019年11月、近い学年の卒業生が集まった機会でした。その頃からご体調が芳しくないとはお聞きしておりましたが、ご訃報を知ると信じたくない想いです。

 三村研に在籍した3年間はあっという間でしたが、先生の教えと先生を通して得た数多くの出会いは、かけがえのない一生の財産になりました。数で言えば楽しい思い出ばかりなのですが、調査中にドクターの学生が働いているのに修士の学生がサボっていて注意されたり、ヒアリング先に遅刻したり、学会発表では先生が見に来てくれた時に限ってOHPのシートを研究室に忘れてしまったり、先生の前で失敗した記憶の方が鮮明に残っています。また、ちょうど30年前の修士1回生の冬、阪神・淡路大震災が発生しました。成り行きで被災地の調査を始めると、「三村研で震災の調査をやっているのは君だから」と、学生の立場でありながら先生の代理として様々な研究会や会議に出席させていただきました。それらの経験や人との出会いが、防災や復興を研究する今の自分につながっており、三村先生が指導教員でなければ防災研究者にはなっていなかったように思います。

 大学教員となった今、学生と接する中で三村先生の言葉や姿勢をよく思い出します。三村研のような自主・自律・自由な雰囲気や、学生に学びの機会を与え成長や気付きを待つゆとりが大学から失われないよう、少しでも受け継いで参りたいと思います。これまでのご指導に改めて感謝申し上げると共に、心よりご冥福をお祈りいたします。

(1994年4月~1997年3年、修士課程・研究生在籍 紅谷昇平)

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